★史上最悪の事故・・・悲劇を乗り越えて★
●ジャガーDタイプ
1954年に登場した、ジャガーDタイプは、Cタイプの正常進化型として生まれました。
"D"という意味は"C"の後継という事だけで意味自体は無い!?ようです(^_^;)
ボディはCタイプから大きく進化しました。
航空機の技術を導入し、大幅に軽量化に成功し、空気抵抗もかなり少なくなっています。
後部にある、大きな垂直尾翼?が特徴です。(効用は不明)
また、ホイルはスポークタイプが廃止となり、アルミディスクタイプになっています。
エンジンはCタイプから、そう変わらず3.5リットル直列6気筒を搭載しています。
これを、チューニングによって250hpまで引き上げていました。
しかし、パワー的にはフェラーリには劣っていたようです。
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ジャガーDタイプ・プロトティーポ ジャガーDタイプ・レコードブレーク
これらのタイプでは特徴の垂直尾翼がありません。プロトの銀色がカッコ良すぎる!
モデル:双方共に ブルム 1/43 |
【 1955年大会 】
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Winner! ジャガーDタイプ No6 ホーソン/ヴューブ
この年は、メルセデスが3年ぶりにサーキットに戻ってきました。 これに、昨年の覇者フェラーリが新型121LMを送り込みます。 ジャガーもDタイプを進化させて5台ものマシンが出場です。 他にも、アストン・マーチン、カニンガム、マセラッティなど多くが出場です。
これだけ充実した参加車両・内容から、レース史上最悪の事件が起こるとは誰も考えもしませんでした。 しかし…・
レースが開始されるとメルセデスのファンジオと、ジャガーのホーソンの戦いです。 レースはハイペースで進み、すばらしい記録が生まれそうでした。
2時間半も経過した頃、事故は起こりました。 ジャガーのホーソンがグランドスタンド前で、オースチン・ヒーレーを左から抜き去りました。 ここで、ホーソンは燃料の給油が必要だった事を思い出します。
急いで、ピットに入ろうと右により急減速です。 驚いたのは、オースチンのドライバーです。慌ててかわそうと左にハンドルを切ります。 しかし、彼のオースチンの直後には、このオースチンを抜き去る寸前のルヴェーのメルセデスがいたのです。 ルヴェーのメルセデスはオースチンをジャンプ台として大きく飛翔し、大きく炎上しながら観客席に飛び込んでしまいます。 当時の観客席はフェンスもなく、コースよりも低い位置に観客席があったことも災いしました。
ルヴェーは即死。観客も80名もの方が亡くなり、負傷者も数え切れない程となりました。 亡くなったルヴェーさん、は1952年にタルボでたった一人で走りきろうとした、あのルヴェーさんでした。
メルセデスは、直ぐに残りのマシンを呼び寄せてレースを中止しました。 レースは競技委員長の判断で継続されますが、のちのちに多くの非難を受けることになります。 レースは結局ジャガーのホーソンが優勝しますが、事故のきっかけを作ったとして非難ごうごうです。 この年のレースは非常に後味の悪いものになりました。
この年はF1も4レースが中止されるなど、影響は大きなものとなりました。 スイスではレースが禁止され、今も解除されていません。
ジャガーDタイプ 昨年までは、フェラーリを戦ったジャガーでしたが今年はメルセデスが相手となりました。 登場から2年目にしてルマンを制覇しますが、多くの非難を浴び悲しい事になりました。
モデルはカルツォ。クラッシックルマンシリースです。 この、垂直尾翼?が特徴です。(何かいい影響があるのかな?) ブリティッシュグリーンがなんとも似合います。
モデル:カルツォ 1/43 |
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メルセデスベンツ 300SLR No19 ファンジオ/S・モス
W196を2座化したレーシングマシンです。 高性能3リットルV8を搭載するハイパワーマシンであり、当時のレースを席巻していました。 ただ、弱点として当時既に時代遅れになりつつあるドラムブレーキが泣き所でした。 そのハンディを克服する為に、なんと座席後部にエアブレーキを備えていました。
しかし、悲しい大事故により悲運のマシンとなっていまいます。 メルセデスがルマンに戻るのは、これから長い年月を必要とするのです。
モデルはPMA。ちょっと古めのモデルなのでライト周りなどは寂しいですが、なかなか良いです。 私は銀色のマシンが大好きなのでお気に入りの1台です。
モデル:PMA 1/43 |
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ジャガータイプD No9 B.SPEARS/P.WALTERS
モデル:イクソ 1/43 |
【 1956年大会 】
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Winner! ジャガーDタイプ エキュレ・エコス No4 フロックハート/サンダーソン
昨年のあまりの大事故から、ルマンそのものの廃止も協議されましたがコース改修・レギュレーション改正 などでなんとか、開催となりました。 しかし、メルセデスはもう完全にレースから撤退してしまいす。 マセラッティも参加は見合わせました。 それでも、ジャガー、フェラーり、アストン・マーチンなどはサルテに戻ってきてくれました。
レースでは、もう圧倒的にジャガーが勝つのだろうと予測されていましたが 天候が不順の為か大きく荒れることとなりました。
ワークスジャガーのフレールは快調にトップを走っていましたが、濡れた路面でミスを犯しクラッシュ! これをさけた、もう一台のジャガーのクラッシュ!と同時に2台を失います。 さらに残り1台のワークスもミスファイアで大きく後退と、ほぼ全滅状態です。
しかし、プライベートで出場していた、エキュレ・エコスチームのジャガーがトップを守ります。 これを、メルセデスからアストン・マーチンに乗り換えたスターリング・モスが激しく追走します。 順位を入れ替えながら戦った2台ですが、モス組のギヤが不調となり勝敗は決しました。 レース全体としては、やはり昨年の影響があり盛り上がりを欠く大会となりました。 なお、ジャガーは市販者に注力するという理由で、この年を最後にレースからの撤退を宣言しました。
ジャガーDタイプ エキュレ・エコス スコット・ランドのプライベートチームです。 深いブルーがとても綺麗! ジャガーDタイプはこれで、2連勝です。 モデルはカルツォです。 このエキュレ・エコスを再現したホットホイールの存在します。
モデル:カルツォ 1/43 |
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ポルシェ 550A スパイダー No28 ストーレス/ポーレンスキー
だんだんと、ポルシェの足音が聞こえてきました。 550Aは小排気量ながら総合5位に入賞するなど大活躍です。 (5位入賞はこのマシンではありません) 悲しい話としては、かのジェームス・ディーン氏は、このマシンのストラダーレ・バージョンで亡くなりました。
モデルはPMA。 小ぶりですが、大変美しい仕上がりです。 センターマフラーが泣かせる・・・・(^○^)カッコよすぎです! このマシンとフィアット・アバルトのセンターマフラーはいいですね!
モデル:PMA 1/43 |
【 1957年大会 】
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Winner! ジャガーDタイプ エキュレ・エコス No3 フロックハート/ヴューブ
撤退してしまったジャガーですが、プライベートからは出場です。 昨年使用したワークスマシンをエキュレ・エコスチームに渡し、サポートも行うという事で実質ワークス状態です。 アストン・マーチンも燃えています!いい加減優勝しないことには、言い訳が苦しくなってきました。 新型のDBR1、2台を含む4台でエントリーです。
注目を集めたのがフェラーリです。ワークス4台を含め、10台ものエントリーです。 車種も4車種におよぶなど、気合が入っています。 マセラティも大排気量マシンで登場です。
レースが始まると、フェラーリ対マセラッティの戦いです。 ですが序盤は、絶好調のフェラーリ対マセラッティですが、直ぐにトラブルに飲み込まれ後退です。
やはり、ジャガーが上がってきいましたがアストン。マーチンも負けていません。 今年は勝たなきゃならんのです! ところが、悲しいかなトラブルがアストン。次々とギヤトラブルです。 ついには、最後の一台もギヤトラブルでクラッシュし、全滅してしまいます。
終わってみれば、ジャガーの圧勝です。 1,2,3,4,6位がジャガーDタイプという強さでした。
ジャガーは3連勝の5勝目です。 エキュレ・エコスチームとしては2連勝でした。 ジャガーがこの後、再びルマンで勝利を得るのは約30年後ということになります。
モデルはカルツォ。 ジャガーDタイプ エキュレ・エコス チーム2連勝です。カラーリングは昨年型と同じです。
モデル:カルツォ 1/43 |
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14th ロータス イレブン No55 アリソン/K・ホール
これぞ!ルマンスペシャル!と言わんばかりのマシンです。 このカウルの中身は本当にロータス? 物凄く、小型のマシンです。 1957年まで、小排気量クラスで活躍しました。
モデルは、カルツォ。 大変素晴らしいのですが、プラスチックなのが残念です。
モデル:カルツォ 1/43 |
【 1958年大会 】
Winner! フェラーリ250TR No14 フィル・ヒル/ジャンドビアン
この年は、ルマン以外のレース(ミッレ・ミリア)でも大きな事故があり、世論の批判を受けた結果、 大きくスピードを抑制するルールに変更となりました。 その為、排気量が3リットル以下に制限されます。
フェラーリは250TRなどを擁しているため参加に問題はありません。 ワークス3台を含む、250テスタロッサを10台も送り込んできました。 アストン・マーチンも頑張ってやってきました。 期待のDBR1はニュルブルクリンクでは優勝するなど性能は十分です。 困ったのは、ジャガーです。 アストン・マーチンなどと違い、3リットルをオーバーしているジャガーはエンジンの改造を強いられます。 結局、ショートストローク化を施して5台を出場させました。 エキュレ・エコスチームも当然出場しています。
この年のレースもやはり悪天候でした。 まずレースが始まると、アストン・マーチンのモスが飛び出します。 あまりの速さに皆、目を瞠りましたがコンロッドが折れてあっさりリタイヤです。 同じく、ジャガーもあっけない事になりました。 1時間もしないうちにピストンが壊れて、エコスチームは全滅です。
風雨は嵐となり、激しく降り続けます。 3時間以降、フェラーリのフィル・ヒル組がトップを守ります。 それを、ジャガーのハミルトンが追い上げます。 ハミルトンは、ついにフィルのフェラーリを捕らえ、トップに立ちます。 しかし、嵐に足をすくわれてクラッシュ!リタイアです。 結局、フィル・ヒル組のフェラーリが逃げ切り、フェラーリ3勝目を挙げました。 アストン・マーチンは2位に入りましたが、悲願の優勝は果たせませんでした。
改造によりバランスを崩したジャガーDタイプ全滅し、彼らの時代の終焉を思わせました。
モデル:モデル:BANG 1/43
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(参考写真) 左のマシンは’58タルガ・フローリオ参加車両です ほぼ形状は同じですが、ボンネットが異なります
モデル:BANG 1/43
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フェラーリ 250TR No19 Ed Martin/Fernand Tavano(情報提供:NGDRIVERさん)
優勝した車両と同じ、250テスタロッサです。 「ポンツーン・フェンダー」と呼ばれるフロント形状をしており、これぞテスタロッサ! というマシンです。 ちなみに、優勝車両は「ノーマル・フェンダー」と言うらしいです。 モデルは、BANG。なかなか、カラーリングが綺麗です。
モデル:BANG 1/43 |
【 1959年大会 】
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Winner! アストン・マーチンDBR1 No5 C・シェビー/サルバドリ
この年から、新たにGTカテゴリーが追加されました。 そうはいっても、やはり勝負はプロトタイプです。 前年の覇者フェラーリは、250テスタロッサを6台エントリーです。 アストン・マーチンはDBR1を4台送り込んできました。 エキュレ・エコスチームもジャガーを持ってきますが、ジャガーがすでに真剣に取り組んでいない為苦しい所です。
レースがスタートすると、今年もアストン・マーチンのモス組がぶっ飛ばします。 これを、フェラーリのダン・ガーニーが追っかけます。 5時間を経過すると、やはり飛ばしすぎのもモス組はエンジントラブルでリタイヤです。 ガーニー組もオーバーヒートが悪化してリタイヤです。 繰り上がったのが、フェラーリのフィル・ヒルです。 これをシェビー組のアストン・マーチンが追いかけます。
レースも終盤となり、ヒル組の連勝かと思われました。 しかし、実はヒル組はオーバーヒートにずっと悩まされていたのです。 のこり、4時間という所で、ついにヒル組のエンジンは白煙をふいてストップです。 トップにはシェビーのDBR1です。 シェビーはこのまま、ついに逃げ切り2位にもフレール組のDBR1が入り1−2フィニッシュを飾りました。
アストン・マーチンは1928年の参戦以来、悲願であったルマン制覇をついに果たしたのです。 彼らはこの年限りで、次の挑戦先をフォーミュラ1に設定し、サルテサーキットを去っていってしまいました。 これ以降、アストン・マーチンは現在に至るまで現れていません。
モデルはカルツォ。この時代のマシンはやはりカルツォ様々です。 カラーリングがとても美しいマシンです。 なお、このマシンで優勝した、キャロル・シェビーさんは後にシェビー・コブラを作ることになる人です。
モデル:カルツォ 1/43 |